常設展示のご案内

当館は平成4年(1992)の開館時より安土城跡をはじめとする、近江風土記の丘を構成する4つの史跡を紹介する城と考古のテーマ博物館として多彩な活動を行ってきました。安土城築城450年を前に令和7年(2025年)より安土城と信長・戦国をテーマとする博物館として、その情報・魅力を発信する拠点として生まれ変わりました。

第1常設展示室

安土城と信長 戦国の世界

 「幻の安土城」復元プロジェクトの一環として、展示室内に天主5階部分と同じ八角形のシアターに、最新の研究成果をもとに高精細フルCGで幻の安土城の姿を再現し、安土城築城の意義を信長自らが語るドラマ仕立ての映像コンテンツ(約15分)を上映しています。
なお、インターネットにより、来館日の1ヶ月前から来館希望日時が選択できる事前予約システムを導入しています。シアターへの確実な入場を希望される方は、来館日時の予約をお願いします。

織田信長と安土城 サムネイル

映像タイトル

「織田信長と安土城~宣教師ヴァリニャーノが見た天下人の城~」

第2常設展示室

日本の城郭の歴史と、安土城跡の発掘調査成果、城主・織田信長について展示しています。城は、戦のための一時的な砦として築かれたものですが、戦国時代(15~16世紀)には大規模な発展を遂げます。なかでも安土城は、石垣・礎石建物・瓦・天主を備えた近世城郭のスタイルを完成させた城として重要です。

主な展示資料

資料保護のために展示品の入れ替えを行いますので、展示していない場合がありますがご容赦ください。

観音寺城跡出土資料

安土城跡出土資料

織田信長関係資料

その他戦国時代の関連資料

回廊展示

滋賀県には約4,600箇所の遺跡があります。博物館内では各遺跡で出土した遺物の整理作業を行っています。回廊展示ではその作業風景や、調査成果が報告書としてまとめられるまでの過程をご覧いただけます。また過去に発掘調査された粟津湖底遺跡(大津市)の貝塚剥ぎ取り断面などもご覧いただけます。

屋外展示物

当館の敷地では、県内各地から移築された建造物や石造物を展示しています。

旧安土巡査駐在所(県指定文化財)

旧安土巡査駐在所は、昭和45年(1970)10月に開館した「近江風土記の丘」の屋外学習展示施設として、重要文化財旧宮地家住宅(宝暦4年(1754))や県指定有形文化財旧柳原学校校舎(明治9年(1876))とともに現在地へ移築された、木造2階建て、瓦葺の建物です。明治18年(1885)10月に、金田・島・安土の3か村を受け持つ常楽寺交番所として、安土駅に近い十字路の角地(旧安土村大字常楽寺字下横町)に住民の寄付によって建てられましたが、昭和40年(1965)3月12日に廃所されました。 建物の外観は柱を塗り込む大壁造の白漆喰塗で、屋根は桟瓦葺です。隅を切った玄関は洋風の扉と円形の庇を設け、上部は三角形の切妻を見せます。また軒先には蛇腹を用い隅は化粧積みの切石で飾り、上下にガラス製の窓を配置するなど随所に当時流行した洋風建築の意匠が見られます。 建物の1階内部は3室で正面の事務室と奥の1室を洋室、もう1室は和室とします。2階には和室2室を、事務室脇には土間と台所からなる下屋を設けます。明治の早い時期に地元の大工によって建てられたと伝わる、洋風を模した公共建築として貴重な遺物です。なお、建物は平成20年(2008)に滋賀県の文化財に指定されました。

石灯籠・道標・車石・礎石

平成17年度(2005)に滋賀県警察本部の新築移転工事に伴って、県立琵琶湖文化館前から移されたもので、石灯籠2基、道標1基、車石14点、礎石2基があります。石灯籠はそれぞれ、「元禄十丁丑歳」(1697)、「寛政六年甲寅」(1794)の銘があり、後者は「大津米屋中」によって寄進された4基のうちの1基で、2基は現在も大津市大谷町逢坂付近の国道1号沿いに残されています。道標は、もともと東海道と伏見街道の分岐点にあたる大津市追分町に建てられていたもので、車石も、東海道の逢坂峠に設置されていたものです。逢坂峠の車石は荷車の運行の利便のため、京都の心学者、脇坂義堂が文化2年(1805)に一万両の工費を投じて、大津八町筋から京都三条大橋に至る約2里の区間に設置したものです。
礎石は、大津市の近江国分寺跡推定地で出土したと伝えられるものが1基、近江八幡市安養寺遺跡で平成26年(2014)の発掘調査で出土した白鳳寺院の安養寺廃寺に関連するもの1基があります。なお、これらの使用石材は全て花崗岩です。

旧柳原学校(県指定文化財)

明治9年(1876)、高島郡新儀村(現高島市新旭町)に建てられた小学校の校舎です。明治時代には「文明開化」で海外の建築要素を取り入れた「擬洋風建築」がつくられるようになります。柳原学校校舎もこの要素を取り入れた建築で、清水吉平という大工により建てられました。 瓦葺きやこけら葺きの屋根・漆喰壁などは、日本古来のものですが、水色のペイント・窓にしつけられたブラインド・アーチ型の出入り口・ベランダなどは海外建築の要素です。1階が板の間の教室、2階は村長の事務室で、3階の塔の中には太鼓があり、村の人々に時間を知らせたようです。 昭和34年(1959)には、滋賀県の文化財に指定されました。

旧宮地家住宅(重要文化財)

長浜市の国友町にあった家屋で、湖北地方の民家の典型的な例です。移築される際に発見された記録から、宝暦4年(1754)の建物であることがわかりました。入母屋づくり、茅葺の建物で、当初の建材がよく残っています。昭和43年(1968)、国の重要文化財に指定されました。内部は、入口から奥にかけて大きく3つの部分に分かれています。入口は「にわ」と呼ばれる土間で、農作業を行う道具やかまど・風呂などがあります。「にわ」の次には「にうじ」という一家団らんの広間があります。これは、地面に20センチほど籾殻を敷き詰めその上に藁筵を敷いた居間で、「土座住まい」と呼ばれる湖北地方独特の生活形態をしのばせるものです。冬の夜も、昼間とほとんど温度が変わらず温かく過ごすことが出来たようです。さらに奥には一段と高い畳敷の部屋が2つ(座敷と寝間)あります。屋根裏は「つし」と呼ばれる物置が設けられています。土臼・唐箕・藁打ち石・風呂桶などの民具も展示しています。